LOGIN「あいつも多忙な奴だからな。あいつが下請けに指示をしたなんてことはないのか?」「簡単な調査ですが、桜庭が指示しているような感じではありません。凜華さんへ嫌がらせをしていた犯人をこちらでも調べてみます」 使用人との電話を終わらせ、嫌がらせをした黒幕、実行犯、桜庭直哉の存在、涼真はソファに座り、一瞬考え込んだが、考える間もなく、すぐに医事課からの連絡が涼真の元へ届いた。「なんだ? 今、取り込み中で急用じゃなければあとにしてほしい」<申し訳ございません。ただ、また宗像先生指名の患者様がいらっしゃってまして。この間、当選された政治家の先生なんですが>(また俺指名か? さすがに多すぎる)「わかった。対応するから、来客室へ通してくれ」 涼真は息を吐き、足取り重くVIP患者が待っている来客室へと向かう。 ノックをして入室すると、中高年の男性が一人、秘書らしき人物が一人、ソファへ座っていた。「はじめまして。宗像です」「ああ。キミが宗像先生か。予想より随分と若いな。本当に腕の良い医者なんだろうな?」(自分は客だと思っているんだろう。偉そうな態度だな)「それで、紹介状か何かをお持ちですか? 病状など、詳しくお聞かせください」 会話を広げることが面倒だと感じた涼真は、医師らしい態度をすることだけに勤めた。「ああ。最近、膝の調子が悪いんだ。立ち上がる時に、痛みがあって」 患者である政治家は、自分の左膝を擦る。(俺は整形外科医ではない。どうしてこんな奴らばかりの対応をしなきゃいけないんだ)「基本的なことは僕でも診ますが。当院にも専門医がおりますので、まずは整形を受診していただいた方が良いかと」「そうか。なんだ。キミは整形には詳しくないんだな。せっかく良い医者がいるからと紹介されてきたのに」 嫌味に聞こえた涼真は、腹を立てそうになったが、感情を抑える。「どなたからの紹介ですか?」(紹介状を持っていないようだし、まだ未受診だ。誰からの紹介だと言うんだ)「あの、灰原家の令嬢だよ。あの子、たしか桜庭家との関わりの方が強いはずなのに。わざわざキミの名前をあげたんだ」「最近、キミ指名の患者が多くなかったか? あれも灰原家の令嬢のおかげだよ。あの子がいたるところでキミの良い評判を広めているんだ」「灰原家の令嬢ですか……」(唯衣か。凜華の義妹。なぜ俺のこと
「琥珀くんに会いに来たの」 退院した時より、かなり顔色が悪い凜華は、目の前に現れた男に力なく告げた。「仁王は、今出張で他県に行っている」(そっか。だから最近顔を見ないのね) 公衆電話から琥珀にかけた電話は繋がらず、琥珀なら何かを察して来てくれると心の隅で期待してしまっていた凜華は、彼が訪ねてこない理由を知った。「宗像涼真、あなたに頼みごとをする日が来るなんて思わなかった」(本当は、信頼している琥珀くんに頼みたい。でも四の五の言っている場合じゃないわ) 凜華が訪れた病院は、琥珀が勤める病院でもあり、宗像涼真が経営をしている。 事務員に仁王琥珀と面会をしたいと頼んだ凜華だったが、凜華の様子から不審に思った事務員が涼真に対応を仰いだ結果、様子を見に来た涼真と対面することになった。「歩けるか? 医院長室へ行くぞ」 涼真はフラフラと立ち上がる凜華を支え、凜華の背中にいる日葵も気にしながら、プライベート空間である医院長室へと連れて行く。「私、具合が悪くて。日葵を見てもらうことはできないかしら。私はどうなっても構わないから。お願い、日葵だけ……」 医院長室のソファへ倒れ込むようにして座った凜華は、悔し涙を浮かべる。(俺に頼ることを避けていた凜華が、一番大切な子どもを俺に託すなんて……。何が起きた?)「わかった。子どもは責任を持つから。安心しろ」 凜華はコクっと頷くと、目を閉じ、意識を失った。「おい、凜華!」 涼真は凜華を触診し、すぐに救急外来へ運ぶよう部下へ指示を出す。(くそっ。最近、俺指名のVIP患者が多くて、凜華のところへ訪問できずにいた。もう少し早く様子を見に行けていれば……) 涼真自身も残業が続いていた。立て続けに政治家や芸能関係者が涼真の元を訪れ、病院の経営のために悪評がたたらないよう治療だけではなく、丁重にもてなすことに緊張した状態だった。 バタバタと医師と看護師が集まり、凜華を担架に乗せる。 その様子を見ていた日葵は、泣き始めた。「うわぁぁん」 母の状態なんて、日葵ほどの乳幼児にはわからないだろう。 しかし何かを察したのか、母へ手を伸ばす仕草を見せたのだ。「大丈夫だ。ママは、元気になるから」 涼真はらしくないと思いながらも、日葵を抱き上げ、落ち着かせるために優しく揺すった。(この子は、俺が責任を持って面倒を見る
「いい加減にしてよ!」 警察へ相談した次の日も、凜華が帰宅をすると玄関ドアへ落書きがされていた。<ここに住む女は、犯罪者。気をつけろ> ホテルの仕事で疲れた身体に鞭を打ちながら、必死でドアの落書きを消す毎日だ。(毎日こんなことが起こるなんて。管理人に見つかるよりも先に自分から相談をしておいた方が良いかもしれない) 凜華は社員寮を管理する部署へ行き、毎日起きる嫌がらせについて相談をした。「すでに警察へ届けているみたいですし、私たちでは何も解決できません。もしもまた落書きをされたら、自分で消してください」 期待はしていなかったが、同情や心配する言葉もなく、素っ気ない対応だった。 嫌がらせは、落書きだけではなく、玄関ドアへ卵をぶつけられた跡があったり、集合ポストへは大量の生ごみが入れられることもあった。「またお前の名前で苦情が入ったぞ。ホテルの口コミにもお前の名前が書かれている。お前のせいでホテルの評価が下がったらどうするんだ?」「私は与えられた仕事はきちんとしています。誰かが私に嫌がらせをしているんです」「嫌がらせを受けるようなことをお前がしたからだろう?」 おまけにホテルの口コミにも凜華の名前が書かれた悪質な口コミが書かれ、毎日サービス担当者へ呼び出され、一方的に罵られるか問い詰められる日々。「こんな毎日、どう解決しろと言うの。警察も動いてはくれない」 帰宅するのが怖くなる。犯人を突き止めようとして、休みの日にずっと見張っていたこともあったが、休みの日だけは嫌がらせがなかった。(これは私の出勤する日が犯人に知られているか、私のことをずっと見張っていて部屋にいることがわかっているからだわ)(身体を傷つけるような攻撃はしてこない。犯人は何を考えているの?) 日葵の寝顔を見ている時間が凜華にとって何よりの休息の時間だった。 しかし凜華は精神的にも身体的にも追い込まれていく。「おい。今度、お前の名前で苦情が入ったら、辞めてもらうからな。それに社員寮にまで物騒なことをされているみたいじゃないか。そんな人間が働いてもらっても困る!」「そんなっ!」 凜華が反抗しようとすると「これは真っ当な理由があるからな。不正な解雇ではない。お客様から苦情が何件も入っているんだから」 管理者は言い訳は聞かないと言った態度でその場から出て行った。(解雇
「すみません。相談したいことがあるんですが」 凜華が訪れていたのは、近くの警察署だった。「事情はわかりました。しっかりと証拠を記録しておいてください」 落書きが続いていることを担当の警察官へ伝えるが、親身になって聞いてくれるわけでもなく、冷たく対応されすぐに話が終わる。(証拠。わかっているけど。私の携帯は今支払いができなくて止まっている。琥珀くんが渡してくれたお金が残っているけど。それを使うわけには……) ふと凜華は琥珀の顔が浮かんだ。<凜華さん。使ってください。何を躊躇っているんですか?> 琥珀へ相談したら、そんな答えが返ってきそうだ。(直接琥珀くんへ相談してみよう) 近くにあった公衆電話で琥珀の携帯へ電話をするも繋がらない。(今日は家に帰ろう。身体を休ませないと、また体調を崩しちゃう)・・・「あはははは!なによこれ!すごい芸術ね」 唯衣が大声を出しながら、自宅ベッドの上で腹を抱えながら笑っている。 凜華の家の落書き写真を見て、子どものように面白がっていた。「ホテル側へクレームも入れておきました。玄関ドアの落書きについては、本日も同じように対応しています」 感情がないように淡々と告げる実行役は、唯衣に金で雇われその任務を全うするだけ。 凜華の心情など、気にしない人物たちが関わっている。「あはは!この女が必死に拭いている姿、バカみたい」 唯衣へ渡された資料には、凜華が落書きを汗をかきながら拭いている写真も添付されていた。「直哉さんの病院には、最近VIP患者を何人も入院させておいた。直哉さん指名で。だから簡単にあの女の家へ行くことはできないはずよ」 唯衣は直哉が凜華に接触しないように、病院へ数々の仕込みを入れている。「あの女を精神的にも身体的にも消耗させるの。自滅に追い込めばいいのよ」 唯衣は、写真に写っている凜華をバラバラに破いた。「直哉さんが気づいた時には、もうあの女の影すら残っていないように。崩壊させてやるわ」(あの女に直哉さんと話す資格はない。直哉さんだってあの女がただの壊れた人形みたいになっていたら、さすがに諦めるはず)「ホテルへのクレーム、嫌がらせは続けてちょうだい。一応、警察にはバレないようにうまくやるのよ」「かしこまりました」 実行役はパタンと一例をし、唯衣の前から姿を消す。「わざわざ私があんな
目を開けると、すでに薄いカーテンから陽の光が漏れていた。「昨日は結局、一時間くらいしか眠れなかった」 体感での睡眠は一時間前後。「医師だった時は、夜勤も平気だったのに。身体のサイクルが狂ってしまったわ」 医師だった時の凜華は、夜勤や夜間診療、救急もこなしている。 刑務所へ入って、早寝早起きの生活、それに日々の肉体労働が彼女の身体のサイクルを変えていた。(身体が重く感じる。睡眠不足だからね。昨日は日葵もよく寝てくれた方なのに) となりでスヤスヤ眠っている娘を見て、安堵する。 いつものように出勤し、ホテルの客室掃除、庭の掃き掃除、その他の肉体労働を終え、凜華は不安を覚えながら帰宅しようとしていた。(まさか、毎日あんなに酷いイタズラはされないわよね) 嫌な予感もありながら、鼓動を速くしながら凜華は自宅アパートの部屋を見た。「えっ!」 そこには――。<犯罪者。出て行け> 玄関ドアに真っ赤なスプレーで書かれていた。「誰がこんなことをっ!」 凜華は、さっと部屋に入り、日葵を横にさせ、玄関ドアのスプレーの汚れを取ろうと必死に擦った。(専用のクリーナーを使っているのに、昨日より落ちない。どうして?)(昨日の落書きが消してあるのを見て、より強力な塗料を使ったの? そこまでする必要がある?) 文字が見え辛くなるまで擦り、部屋へ戻る。日葵の食事を作り、寝かしつけ、再度玄関ドアへ戻る。(こんな生活が毎日続くの……。犯人は誰?) 見えない恐怖を感じながら、やっとの思いで汚れを何とか落とす。(まさか、直哉が? ううん。直哉だったらこんな子どもみたいな真似はしない。もっと残酷な方法で私を陥れるはず) ベッドの中で犯人を思い浮かべる。(直哉や涼真ではない。もっと姑息で子どもみたいな人のやり方よ)(警察へ相談したら、話を聞いてくれるかしら) 次の日――。 凜華の寝不足は二日連続で続き、目の下にクマができていた。 掃除をしていると、上司から呼び出しを受け、スタッフルームへ向かう。「おい。最近、慣れてきたからって、掃除に手を抜いているだろう?」 上司から言われた一言、凜華は思わず「そんなことありません」 否定をした。「昨日だけで、お前に関する苦情が五件も入っているんだよ。宿泊者アンケートに部屋が汚いって、クレームが殺到している。お前の名
「お嬢様、桜庭凜華の住処がわかりました。直哉様の使用人を通じて、情報を得ました」 それは唯衣にとっての吉報だった。「婚約者である私が頼みこめば、直哉さんの使用人だって教えてくれるわよね!」 自室でスマホを見ていた唯衣だったが、ここ数日、動いていた。 まず、直哉の使用人を当たってみること。 自分が将来の婚約者であることを強みに、揺さぶりをかける。使用人の中には固く口を閉ざした者もいるようだが、何度かの交渉の末、口を割った物がいた。「それで? どこに住んでいるの?」「ホテルの従業員として働き、社員寮に住んでいるらしいです」(住み込みで働いてるってことね。さぞ、古いところへ住んでいるんでしょう。私じゃ考えられないわ)(私が直接出向いても良いんだけど。もしかしたら、直哉さんと遭遇してしまう可能性もある。ここは――)「ははっ。面白くなってきた」 唯衣は声を出して笑っている。「あの女、どんな顔をするんだろう?」・・・ 凜華は体調も回復し、以前のように過酷なホテル従業員としての勤務を続けていた。(仕事は大変だけど、琥珀くんや涼真から日葵の日用品を届けてもらったから、ありがたい。レトルト食品とかも入っていたから、助かっちゃった) もう少しで退勤時間。凜華は今日の夕飯について考えていた。(住んでいるところは古いけど、ちょっとは普通の生活を送れるようになって幸せだわ。ご飯をきちんと食べて、体力を落とさないようにしないと)(また病気にでもなったら、日葵に寂しい思いをさせちゃう) 日葵も元気だが、しばらく離れて生活をして以来、大きな声で泣くことがあった。 凜華が日葵から離れようとする瞬間、彼女のご機嫌が斜めであれば、声をあげる。(寂しい思いをさせちゃったから。日葵も私がどこかに行っちゃうとでも思っているんだろうか)「日葵、お母さんはどこにも行かないよ。ずっと一緒だからね」 背中にいる日葵へ声をかけ、社員寮の自分の部屋へ着いたその時――。「なによ。これ? どうなっているの?」 玄関ドアへ、スプレーで大きく落書きをされていた。 書かれていたのは――。「この女は犯罪者……。誰がこんなことを!?」<この女は犯罪者。注意> 赤文字のスプレーで書かれていた。 持っていたティッシュで文字を擦ったが、消える気配がない。「日葵。ごめんね。部屋の